SAMURAI7&茶母ファンブログ
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07/02
本日のなうり考(笑) 見果てぬ夢
ほんというと、なうり考じゃなくて、茶母考かも;(苦笑)

今日は1&2話の構成要素を中心に語ってみますー。
「ファンジニ」を見ていると、なぜか「茶母」のことをよく考えてしまいます。
印象の差といってしまえばそれまでなのですが、「ファンジニ」は、
ドラマだのぅ〜〜〜という感じ。だからなおのこと、舞台劇にすれば、
よく似あうと思うのですよね。

「茶母」はねー。春日だけかもしれませんが、あれ見てるうちに
ドラマだって気がしなくなりません? なんかホントにあった
隠れた史実っていうか、こんな話もこんな人も、昔は実在したはず
のような気がしてきちゃう。つくりもんなのに、つくりもんクサさが少ない。

いま、本物を見てる気分で見入ってしまうから、こんな
ありえんハマり方するのでは…と思います。

ぶっちゃけていえば、なうりとオガァのあれこれを
かぶりつきでデバガメしてるわけだ(にやにや)

なのでこれは舞台化はちょっと厳しいかな〜;
や、名作脚本なので不可能ではないですが、
ドラマ以上に成功できるかというと、難しいかと〜。


俳優陣の熱の入り具合が、神がかりっぽくなる
後半の出来栄えは言うに及ばずですが、
今日は、もうちょっと冷静に、きちんとした構成面の
話をしたいかなーと思います。


実は、「茶母」という作品にとって重要なのは、
9話以降の怒涛の後半でなく、むしろ屋台骨となった
1話と2話。

まだまだのんびりしてた物語のスピード。
役柄もあまり明確でない俳優陣、つかみでネタフリのこの
序盤こそが、「茶母」のモチーフのすべてをがっつり
必要にして十分見せることに成功したからこそ、
こうして多くの嬖人をつくってしまえたんだろうと思います。

本来1話は、人物紹介で終わっちゃいますよね。
そして2話で生い立ちを説明する、というのは、
韓国ドラマのきまり、なんだそうですね。

その定形にのっとりつつも。
子役時代のエピソードの練り方、見せ方、
そして子役ふたりの演技の質の高さ、が
このドラマに不動の精彩を与えております。


1話のネタふりが完璧。

オープニングのつかみはもちろんのこと
(わかる人には、これでラストまでの流れも読めます)

1話冒頭のっけから、なうりとオガァが登場し
(なうりはオープニングに出ていないので…えっ?この人だれっ?
となります)

彼らの関係が、物語の流れにのって上手く説明されていきます。

はっきりしない(わかりやすいけど☆)ものが、チオのところで
が〜っと明確になって、梅林で視聴者にすんなり感情移入できるつくり。

おまけに潜入捜査の「行ってきます」のとこあたりで、
二人けっこういい雰囲気?と期待が…。

そこへ謎の男が割って入る(笑)


むぅ、メロドラマ構成として完璧です!(爆)


謎の男の背景と、なうりとオガァの仕事が
微妙に重なりつつ。


2話による三人の原点とバックボーンの説明、そして
俳優たちによる表現が、上手すぎ〜(笑)


2話で煮え煮えになっちゃってるなうり。
無駄に色っぽいオガァ(無自覚)

どうしてそうなのか、なぜ彼らはここにいるのか。

子役による回想シーンは、視聴者の疑問にきっちり
応答してくれます。しかも無駄なエピまるでなし。
必要なとこから始まります。つまり親と生き別れるシーンから。

まず、チェヒの生い立ち。

そしてなうりの生い立ちは、チェヒに出会うところから始まります。
それ以前は必要ないんですねー(ううむ、すごい)

なうりの屈辱的な幼少期。その悔しさ。
チェヒの、悲惨さを悲惨とも思えない、いとけなさ。

悔しいとか悲しいとかみじめとか、
口で言わすのは下手な芝居。見てる方が
そう感じ取れなきゃねー(笑)なに言ったってねー(苦笑)

出会いにより、チェヒにとって若様ははなればなれになった
兄のように思われたわけで、はちみつ水持ってって、
ついでにしたつまみ食いがばれ、女中頭に
引っ張られて行きながら、ふりかえった
チョン・ミナちゃんの演技がすごすぎ…。

若様は、あのとき「自分なんかなんで産んだんだー!」という
泣きごとの真っ最中でした。親としてこれだけは聞きたくない
ヘヴィなセリフ…(TT) でも、彼は初めて母親以外に自分を
いたわってくれる存在と、自分を必要としてくれる誰かがいる、
ということに、チェヒ@ミナちゃんの表情とまなざしから
感じとる。あの若様の演技の応答もお見事でした。。。


ここで仮に、チェヒと若様があのままお屋敷で一緒に大きく
なったとして、若様はあれほど彼女に恋い焦がれることに
なるかっつったら、結構ビミョウ(汗) 間違いなく、自分の
妹のようにかわいがりはするでしょうし、ひょっとしたら
淡い恋の対象にもなるかもしれませんが、おそらくほとんど
自分を出さないままのチェヒに、あの(こわがり〜な)若様が
それ以上われから踏み込んでいけるとも思われません。

なんとなく恋し、やるせなく諦め、周囲に流されるままどこぞの
庶子のお嬢さんと娶あわされて、ときどき実家にやってきては彼女を
ちょっと痛みのこもった目で見ながら、「元気か?」って
声掛けるのが精いっぱいですよ、きっと。

彼らの運命は、なうりの父上によって「二人で山へ行った」ところから大きく歯車が回り始めるのですよね〜。なうりは、ただのうだつのあがらぬ庶子から両班となり官吏へ進める可能性、いわば未来を手にすると同時に、身分の枷のゆるい山寺の生活を通して、最初はかたくなで遠慮がちで無口〜な子供だったオガァが、彼をみて笑うくらいだんだんうちとけて、そのうち若様のために師匠の杖まで焼いちゃう、”若様命”で、かなり無鉄砲なチェヒの性格まで露呈…(苦笑)。

そこんとこ台詞ないから、ぜんぜん説明っぽさ薄いしねー(うまいな〜)
ホントはあの辺、めっちゃ説明カットなのに、子役ちゃんたちかわいいし、退屈しないもんね(笑)

そのうち、若様が、チェヒに剣を手ほどきした、ってのもたったワンカットでさらっと。

そいで、いよいよ赤い稽古着のチェヒに成長する。
青い稽古着のトリョンニムのとっぽさが微笑ましい〜。すでに彼女に振り回されてる節あり(爆)でもねー、彼がべたぼれになるの、この雪山の修練だけで、ものごっつい納得しますわ(TT)

たったひとりの肉親みたいにかわいがってた女の子が、彼のそばでこ〜んな綺麗な乙女にどんどん成長して、しかも当時の社会通念上、婚約者でもない妙齢の乙女が、男に笑いかけたり、絶対しないのに、なーんの遠慮もなし、輝くような無邪気な笑顔ふりまいて、笑い転げてんですよ〜〜(><) 彼女が若様に寄せる絶対の信頼、無償の献身。身構えないあの二人の間に通う空気に、それがはっきり感じとれます。

若様は半分フリーズしながら、ぼ〜っと、それこそ「綺麗だなー、かわいいなー」くらいしかぼんやり浮かんでこない頭で、「幸せ〜」にぬくぬく浸ってたはず。つーか明らかに恋に呆けてるお顔なのが、おかしいやら、せつないやら。あんなに無防備にいられると…、男に戻れないしー。信頼、裏切れないしー。ああ、ジレンマですねえ(><)

そら〜、厳しくて貧しくて、辛かった修業時代なのに、あとから思いだしたら、懐かしくて綺麗なことばっかりになるよねぇ。そうして、あの頃彼女がぴたっとつがいのように寄り添って彼のそばにいたこと、絶えず身近に感じられた彼女の信頼や、献身や尊敬ってものが、「愛だと思いたくなる」なうりの気持ち、わかりますよねー(><) だって彼は彼女を愛していたから…。愛されてる、と信じたいよ、そりゃ〜。

この雪山チェヒから、山を降りてく彼にくっついて、うっとり彼を見上げるところまでのジウォンちゃんの
演技、表情、雰囲気、ルックスが、あまりにも完璧。これ以上望めないくらい、そら〜監督もキャスティングに苦労した甲斐あったと、思われたことでしょうね。


ゆっちゃなんですが、これで成長したチェヒが”ファンジニ”のクムチュン教育係とかヘンムみたいだったら、若様は、茶母にして連れて行ったかどうかもあやしいぞ〜〜〜(爆)


15年後の二人が梅林で、互いの痛みを重ね合わせるに至る、その道のりの、ほんのわずか、必要かくべからざる最も重要なシーンだけを、まるでスライドショーみたいに断片的に切り取って見せたことで、かえってその余白、語られなかった部分が大きく膨らむという手法。


彼らがおたがいにとってどんな風にかけがえのない存在になったのか。なうりが、オガァにあれほど恋い焦がれてしまわずにいられない、美しく満たされた過去の説得力。それがあるからこそ、彼の思いは狂おしいのであります。あるいは、それを封印しなくてはいけない、オガァの宿命がどうしようもなく悲しい…(TT) ついに、なうりに向かって、オガァが山の頃のように笑いかけることは一度もなかったですからねぇ…。槍の稽古のころは、思い出の最後の名残りが、あったんだろうなぁ〜(しみじみ)
またそんな補完をなうりの回想でいれてくれちゃうしね、このドラマ。同じカット使いまわす回想は、何度も重なるとつまんないんだけど、「茶母」では効果的に少しずつ、見たことある回想に見たことない回想まぜて流してあるので、うっかり見流すわけにいかなくて、あざといっちゅーか、視聴者の前のめり感を切らせない手法、さすがと申せましょう。どうしても、本筋に回想入ると、意識途切れちゃうでしょー。そこが極力廃されてますよねー。


彼の不器用で、それゆえに純粋で、ちょっと笑っちゃうくらいまっすぐな愛を、チェヒのころはちゃんと嬉しそうに受け止めてくれてたし、ね〜…(つい目がしら熱くなっちゃうわ) いまや、なうりがいくら「愛だ」と思ったり、感じたりしたところで、返事は常にノー。悲しいー。そしてオガァにしてみれば、彼からそれを匂わされるだけでもいたたまれない。ずっとそばにいたいけど、ここにいちゃいけない、と思う。4話で、「やっと出ていく決心がついたのです。…引き留めないでください」ってペクに言ってたしね〜(滝涙)



こういっちゃなんですが、人間には”ストレス回避の法則”というのがありましてね。ふつーは、ヤなことあった店とか、思い出にまつわることはすべて無意識にでも避けて通りたい、という心の働きがあります。

男の人が糟糠の妻を捨てがちなのも、きっとその辺に起因すると睨んでますが…。

功なり名遂げて出世し、きらびやかな世界に進んでいくと、自分のみじめだった過去を思い出させる恋人や妻はうっとうしくしみったれて見えたりするのでしょう。よくある話よ〜。

なうりの過去を誰よりも知り尽くしている存在はチェヒよりほかにありません。でも、彼にとって、彼女は新しい世界になくてはならない人でした。そのためにがんばった、と言ってもいい、原動力だったし、なによりも、それほどの名花でありましたよ(うむうむ)。ぜんぜんみすぼらしくない、というか、むしろ、どこへいってもなにを見ても、「彼女が一番」と、なうりはきっと思ってたに違いない(爆)

そう言う意味で、ドラマって、やっぱ見た目が説得力になることも多いっていうか……(汗)



肉親以上、恋愛未満、を、この短いエピソードでかくも見事に描ききったという点、2話は白眉でございますっっ。しかも、額縁ではさんであるのが、あの雨夜の修練だものなぁ〜〜〜(><) これは元ネタ、原作漫画にあるんですけど、それにしても上手いこと撮ったもんです。

なうりってば、熱くなっちゃって…(不憫)

あの昔が、七年たったいまこれ、というのも、ものすんごい見事な対比。(どっちもふたりで稽古してるのは同じですから)

立ちすくんでしまうオガァも可哀想なら、半狂乱になって詰め寄ってしまうなうりの気持もわかるわーとしか言いようがありません。

だって、彼もう23歳の若造じゃなくて、31歳ですから。
人生50年の時代なら、もう後半生に突入してるんですよ。

待って待ち続けたあげくの七年後がこれ(滝涙)

そら〜、焦りもするわなぁ。。。



恋愛と結婚は、ノリと勢いとタイミング。


「周囲をよく見なさい。合わせなさい…!@月影先生」の
台詞を、オガァだけでなくなうりにもささげます。
彼も群舞は苦手そうだー^^;(笑)


……プロポーズは、相手の顔よく見て、
山を降りるときにしてきなさいよ(ボソ)


というわけで、嬖人を量産し、ラストを見れば、また1話2話を見たくなっちゃう、という秘密は、この構成にある、と申し上げておきます。なうりとオガァの見果てぬ夢、美しい過去を現在に織り交ぜ、追憶とともに今が際立つ物語だからです。理性でなく、感覚に訴えかける比重がとても高い。多少脚本が破たんしていても容認できるのはその辺がミソ(笑)それはもう当然というか、PD最初に8話まで脚本あげてキャスト候補者に配ってまわってるから、確信犯な!(笑) 



自分でふんぎれない人は、周辺が手伝ってあげる…というわけで、殿下にはテスや〜が必要だったのですが、テスにしてみれば、一番大事なのはソンヨンだからこそ、彼は殿下の後押しができたんだと思います。ソンヨンの幸せのためならば〜!という男の一念(うるうる)

「茶母」だとその役回りは当然ウォネに期待されるんでしょうが、彼にとって一番大事なのはなうりなので、彼のためにオガァを連れ戻しこそすれ、「あいつはなうりのことが好きなんですよ」なんてことは絶対に言いません。その結果、なうりが幸せになれるかどうかの判断は、彼にはつかないからです。ちゅーか、空気読みの達人のウォネは、あの二人の内輪に自分が入ったり、口出ししたりする権利のないことを痛いほど知っていたんでしょうねぇ〜〜(不憫)言われたなうりも、どうしていいかわかんないだろうしなぁ(苦笑)
この記事へのコメント

久々の長文(笑)
私、これ読んでて気づいたことがあるんですよ。
それは、たとえばチェオクの剣をみて李朝に興味を持って調べて、朱子学だとか身分制だとか庶子がどうとか奴婢がどうとか、粛宗がどんな王だとか僧侶も賎民なんだとか、そういうことを調べずにはいられない物好きというか、凝り性というか、バカというか(笑)、そういうのはそんなに多くはいないんだってことなんですよね。で、そこがわかってるのとわかってないのとで、ファンボ・ユンとチェオクの関係から切なさを感じるかどうかって、すごく違うんだと思うわけです。
日本人だったら、貧乏長屋のとめきっつぁんの娘およねと、大店の若旦那との恋にどれだけの障害があるかピンとくるのと同様に、韓国人ならあの二人の恋の障害について、なんの説明もなくわかると思うのですよ。でも日本人は調べないとわかんないわけです。
私らは運良くそういうタイプなので最初からあの二人に萌えられましたが、通常なら敵同士で実の兄妹という、すんごくわかりやすい関係性のほうに切なさを感じるわけで、ファンボ・ユンっていらいらするーなんてことを言われちゃうわけですよね。
韓国でナウリ、日本でソンベクに人気が集まったのは、なにも国営カッターのせいだけでもないのではないかと、いまさらながら気づいた次第でありますよ。

ところで回想シーンにムダがない理由、私はこう思います。
当初、全8話でプロットをつめてたはずで、それがどうしても入らないからと14話になり、それでも結局入りきれず監督版の追加シーンてんこ盛りということになるわけですが、そういう経緯ととき、あの序盤の回想シーンは全8話のときのまま、残したんじゃないかと思うんですよ。もちろん根拠はありませんが、私が作り手なら、他の部分から肉付けしていくもんね。最低限必要な分だから、最初からあの部分はあの状態だったと思うわけですよ。だから省略したほかの部分を先に膨らませていくと、14話あっても足りなくなったので、いろんな部分をまた削っていったんだと思うのです。
だから回想は必要最低限、実にスリムな形で残ったと。
下手に最初から14話とかだったら、よけいなエピソードが入った可能性はあると思いますねー。その辺、運が良かったんでしょう。キャスティングにしてもそうだし、実に運に恵まれた作品だと思いますね。
小茂根 [URL] 2008/07/02(水) 23:02 [EDIT]

>小茂根さん
そうですねえ。各国の時代劇を十分楽しむには、その時代背景、文化風俗が多少なりとわかりませんとねー。春日の場合は、昔、皇(すめらぎ)なつきさんの李朝漫画読んでたってのがわずかな基礎知識になったかもしれません。近くて似ているわりに、実は詳しいことは不思議なほど知らない隣国の歴史ってやつですねー; 国営カッターで切られてるのは、「なうりとオガァの美しい関係」の部分なので、かなりわかりにくくなってることは確かです; が、時代背景や当時の常識がわかんないから、というお説は、なるほど〜と思いました! 

「茶母」は、その背景の重さとリアリティが肝ってのは製作サイドもよくわかってて、子役時代はもちろん、折に触れて説明というか、ちゃんと表現するエピがありますよね〜。「ファンジニ」とか、ビョンフンものは、その辺、”わかってる”自国民に甘えているのか、きちんと表現せず上っ面だけで流しているから、いまいちだと思うのかも。それこそ、普通の韓国の方なら、小茂根さんのたとえくらいの認識だろうと感じるので。

日本の感覚でより厳密にいうなら、”腹は借り物”の風潮が強かった徳川の反動で、より封建色の強くなった明治時代、薩摩の名門伯爵だかが、下女に産ませた息子がなうりでー、さんざ家でも外でもいじめられたけどがんばって警察官僚になり。天皇機関説を唱えた帝大名誉教授の娘と恋仲になったけど、強硬派から弾劾やまず、ほんとは今上陛下もお助けになりたかったのに、どうにも世論やみがたく、泣くなく教授は大逆罪で断罪。連座させられ、娘は貴族院議員の令嬢から一転被差別民に。さあ、彼は元教授の娘と結婚できるか?

という話…なんですよね……(無理だろ)
さらに言えば、なうりは令嬢じゃなく、身分が落とされてからのオガァに恋してるし…(涙)日本の発想だと、身分が違うといっても同じ屋根の下にいられるのは華族と平民までという感覚ですから、当時の彼らが愛しあうこと自体、ピンとこないかも(><)

そして一番難しいのは、庶出の感覚差でしょう〜。日本だと嫡出がなければ男庶には相続権ありましたから(嫡男がいれば長子総取り)。なうりのセリフどおりに感情移入できればいーんでしょうけどね。朝鮮時代というのは、どこの階層に生まれても、実は『死ぬほど息苦しい』。その中にあって、それぞれ”人であって人でない”位置に押し込められた二人が階層を飛び越え、奇跡的に自由恋愛を経験し、つかのま人間らしく生きてしまったからこそ、”思い切り深呼吸しながら二人で生きたい”と願った物語なんですよね…。それはソンベクほどドラスティックな社会行動ではなかったけど、実は体制の根本を揺るがすという意味で、ソンベクの目指すものと同じ、かつ、大変に危険な思想であったと…。わかるのとわからないとで差があるのは、当然ですよね…(滝涙)

だからついつい、こんなブログ書いちゃうんですよねー。調べたこととか、感じたこととか、残しておきたくなる。知りたくなったとき、誰かに見てもらえたらと思って。違いますか〜?(苦笑)

けっこう外国輸出も視野に入ってたのか(笑)それとも自国民でも実感は遠くなっちゃった”身分の壁”についてわりかしちゃんと説明しているけど、いちいち言葉の説明まではやってくれない「茶母」のおかげで、確かに調べまくりましたよねー(笑)そもそも文化風俗以前、台詞が外国語!!!ネットの恩恵をこれほど味わったものもありませんわ(爆)余談ですが、『監督秘話』の茶母設定当時の時代背景資料、あれはそのまま「イサン」の下敷きになってます…(初めから視聴層絞ってんのかよ〜;)まー、要するに昔の文学少年少女には、ちょっとこたえられん響きのあるドラマ、って感じではないでしょうか(笑)視聴者の想像力や知的好奇心を刺激するつくりっていうか。だからあまり自分でものを考える癖のない人には、向かないドラマであることも確かですよね(苦笑)

まあ、わかりやすいところでソンベクに萌えてもいいとは思いますけどね〜。ドメスティックだけにこだわってないところが「茶母」のいいとこです(笑)


前半のエピソードがとてもすっきりしている理由も、そんなところでしょうね〜。当初全10話>12話>14話と伸びていったそうなので、8話までシナリオ書いて、監督はあと一気に謀反鎮圧に畳みこむつもりだったんでは。…それはムリ。いくらなんでも無理(笑)なうりとソンベクの一騎打ちあたりから、メロの分量および、謀反全容をみせるのに、あそこまでかかるという読みが難しかったんでしょうなー。

撮ってるうちにキャラは勝手に膨らむ動く、って感じになって、残り2話だったはずの脚本が、あれよという間に+6話になったと(諦めよく、素直に倍にしておけば、やり残すこともなかったと思いますが…(苦笑))

時間に余裕があって、たっぷり推敲編集もできたでしょうし、ドラマの前半の完成度が高くなるのはしょうがないですね〜。なにしろ後への引きですから、見せすぎてはいかんっちゅーことで(爆)その辺の判断が、PDの腕の見せ所ですよね。ビョンフンPDは正直理解できないです…予告は見せすぎ、ドラマは書き足らぬ…(しくしく)

記号的にやる、というのも、どうやらそれが従来の韓国史劇のスタンダードだから、ということらしいんですけどー。そろそろそれだけじゃしんどかろうと…。

「茶母」の強運、それこそが『運命』?(笑)まあ、ぎりぎり放送時には、残り2話で、ホントよかったなーとは思ってます、ハイ! 
春日 [URL] 2008/07/03(木) 14:10 [EDIT]

そう、両方のニーズに応えているのが茶母のいいところですね。

日本のドラマファンの一番多数派な層というのは、昼間会社でいやな思いをして、うちに帰ってまで重ッ苦しいドラマはみたくないよというOLさんたちや元OLさんなんですよね。『ごくせん』や『花より男子』『HERO』の大ヒットはその層を取り込んでのものだし、作り手もスポンサーもそれはわかってるから、そういうドラマが作られることになります。
よく韓流ファンが日本のドラマを批判しますが、そういうニーズに応えるという事情からそういうドラマを作るのであって、日本ドラマ界に優れた人材がいないということじゃないんですよね。
むしろ視聴率を稼げないドラマにいい作品が多いというのは、これまた同じ理由であって、要するに多くの視聴者が優れた作品を望んでいるわけじゃないということです(書きながらどうなることかと思ったけど、やっとつながった・笑)。しかも無自覚なところがすごいんですが…。

というわけで、ある程度上っ面だけのドラマがニーズに応えることがよくある話で、それは仕方ないことでしょうね。結局視聴者がスポンサーになるシステムが一番いいんですが(そういうのをファンドってんでしたっけ?違うっけ?)、それも難しいですもんね。映画とかにはわりとありそうですが。

って、またまた逸れまくりですねぇ〜。いかんいかん。

>だからついつい、こんなブログ書いちゃうんですよねー。

それは大いにありますね。
そして私の場合に多いのは、他所様で読んだ意見に対して、その場にコメントできる分にはいいのですがちょっと角が立っちゃうかもしれないなぁと(笑)、この人が行考えること自体は別にいいんだけど、違う意見も聞いて欲しいぞと、そういうときにあふれ出すようにブログを書かずにいられない状況になるんですよねー。
挙句に『ファンのみ』にしてみたり(笑)。
小茂根 [URL] 2008/07/03(木) 23:23 [EDIT]

>小茂根さん

そういえば、自分も仕事で疲れてンのに、重たい小説なんか読めるかー、と漫画ばかり読んでた頃を思い出しました(笑)てかー、春日の場合は、現代ものだと、そこがぜんぶかすっちゃう気がするんですよねー。「のだめ」くらいコメディに徹してくれたらいーんですけど。時代劇なら、とことん非日常ですから〜(笑)

重さ軽さのさじ加減は、まさに作り手のセンスが問われますねー。「踊る」にはまったのも、一見かる〜いようで、大事なとこは外さなかったっていうか。重すぎない、ことは大事ですねー。「茶母」はその辺、愛でくるんで、陰惨にしなかったのが、PDうまかったなーと(笑)同じ脚本でも、俳優違えば、もっとあっさりいったんでしょうに、演じたのソジンssiとジウォンちゃんだから、後引きまくったんですよね〜。。。

>角が立つ
あはは…!
それはそうかも。

すごく納得しちゃいました(爆)

王様の耳はロバの耳〜?!


優れたドラマ、というより、最近春日の尺度は”視聴者の共感をよびおこせるかどうか”が重要になってきましたよ。見てもらえないことには、どんなによくできた作品でも、意味ないですものねえ。
春日 [URL] 2008/07/04(金) 13:52 [EDIT]

春日さまのところに来るまで、さらっとフラッシュバックの回想に、左捕盗庁の7年の重みなんて考えもしませんでした。
別離の約1年が、思い合って恋しさを熟成させた分だけよけいに、恋しさを膨らませたふたりが、世間(セサンと読んで下さい)に拒まれてゆく歳月だったのですね。一方は諦めとともに心を奥深く閉じ込め、他方は本心を押し殺しつつ諦められず、かといって何もできずに静かに恋の息吹を飼い慣らしている。
言葉にするととても残酷ですが、生殺し。こんなに美しいふたりに、身震いするような酷い現実です。
しかも、世間以上に、それぞれの胸中に守るべき暗黙のルールがあり、さらに足枷を重くしていく。
圧縮しつくしたプロット・・・(涙)
昇華するのに相当のエネルギーが必要ですよね。

そう考えると、N○K版がユンとチェオクの物語にしなかった理由が、逆説的ですが、わかったような気がしました。すり替えられたような感は否めませんが・・・。
ココロ♪ [URL] 2008/11/11(火) 01:35 [EDIT]

>ココロ♪さま

そうですねえ。よりわかりやすい、一般向けのコンセプトにすり替えられちゃったんですよねぇ…(溜息)

「茶母」はどこにも、主人公たち自ら「人生が辛い」と愚痴はこぼしておりませんです。だいたいが、他人のことを語っておりますね…。そして直接のセリフで、身分がどうとか、扱いがどうとか説明してくれないです。。。なのに、というか、それゆえ、といいますか…行間を読み取れる人には、それぞれの登場人物の”どうにもならなさ”がのしかかるようでさえあります。しかも年月が長い…! 目に見えない歳月の空気感といいますか、そういうのを踏まえた役者さんたちの演技に唸りますね〜♪

回想シーンと現在のお芝居との違いを、見れば見れるほど納得です…(TT)

…生殺しが七年も続くと、あーんなに目の色が悲しくなるんですねぇ(笑)すごい説得力〜♪
春日 [URL] 2008/11/14(金) 18:59 [EDIT]

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